擦りガラスの向こう


「一甲…」
甘く掠れた声、誘うように開かれた濡れた唇、覗く赤い舌。
頬に添えられた指が微妙なタッチで動き、唇を這う。
「いっこぉ…」
たじろぐ自分に構うことなく、するりと首に腕を絡めて更に距離を縮めた。鷹介の鳶色の瞳がそっと閉じられ、唇は薄く開かれる。
ふわっと重ねられたそれは先ほどまでの戦闘のためかひどく熱く、心を乱される。
「ん…、…ふ」
角度を変えて、強く弱く押し付けてくる。反応を返さない俺の下唇を挟み込んで軽く揺すってチロリと舐めた。
「鷹介…」
呆然と呟いた声がやけに遠くに聞こえる。
耳の奥の警鐘は消えない。
しかし鷹介の体温に、汗の匂いに、そして蠢く唇に意識を絡めとられて。
「なぁ、欲しくねぇの? オレのこと、そういう風に見れない?」
触れ合う距離で囁かれた言葉が、背中を一押しした。









「一甲」
遠慮がちに声をかけてきたのは吼太だった。
研究所の仮眠室に鷹介を運び、吼太に任せると逃げるように部屋を後にする。しかし気になり一甲はそのまま廊下の壁にもたれ瞑目していた。
「様子はどうだ?」
「眠ってる。心配なら見てこいよ」
「……」
「何があったか聞いてもいいか?」
「……」
「…言いづらいならいいよ」
「…。サタラクラと対峙した直後急に倒れ、次に目を覚ました時には…操られているようだった。サタラクラに何かしらの暗示を掛けられたのかもしれん」
さすがに「俺を誘ってきた」とは言えず当たり障りのない程度にしか話せない。いくら関係を知られていても。
無意識に拳を握っていた。
あの時加勢するのが遅れた。自分の落ち度だと一甲は己を責める。
「目、覚ました? じゃあどうして気絶してるんだ? サタラクラに攻撃されたのか?」
不思議そうに問う吼太が見れない。目を覚ましたはずの鷹介が気絶して運ばれてきた理由が言えない。


結局あの時。

鷹介は明らかに操られていた。瞳に鷹介本来の輝きと強さはなく。

身を寄せる鷹介の首筋に手刀をくらわせ、意識を失わせた。

鷹介の急変に戸惑い。

自分を映さない瞳を見たくなくて。





カタン。
微かな音が部屋の中でするのを聴覚が捉える。鷹介が目を覚ましたらしい。
吼太もそれに気づいたらしくドアに手をかけた。中に入りかけ、動かない一甲を振り返る。
「一甲?」
目を覚ました鷹介が一体どうなっているのか、正直不安だった。さっきのままだったら…と思うと脚が竦む。

もしあのままだったら。
吼太が居ようが居まいが気にせず、誘われるがままに赤く色づく唇を貪り、体内に熾き火のように燻っている熱をその身体にぶつけてしまうかもしれない。
さっきは残り僅かの理性を振り絞って欲を押さえ込んだが。次は自信がない。

伝説の覇者、と言われていたはずの俺はこんなにも弱かったのか。知らず一甲の頬に自嘲の笑みが浮かんだ。
この状況から逃げることは許されない。
ぐっと腹に力を込め、鷹介のいる室内に一歩足を踏み込む。

「一甲!」
吼太に脈拍を測られながら、一甲の姿を認めて顔を輝かせたがすぐに真っ赤に染めて顔を逸らしてしまった。
ベッドサイドに歩み寄ると吼太が怪訝な顔をしながらも気を利かせてか「何か作ってくる」と部屋を出て行き、部屋には2人だけが残される。
傍らに椅子を持ってきて座ると、耳まで赤くなった鷹介がチラチラと一甲のほうを伺っては居心地悪そうにもぞもぞと身じろぐ。その様子は先ほどのような妖艶など微塵も感じず、いつものような、いやそれ以上の幼ささえ感じた。
「なぁ一甲…。オレ、さ…あの…」
「…覚えてるのか?」
コクン、と微かに縦に振られる首に合わせるように、サラ、と髪が滑り落ち表情を隠すが、うなじまで茹で上がったその状態は表情よりも語っている。
「ごめんっ! オレ、変だったよな! 気持ち悪かっただろ?急に抱きついたり…キ、ス…ねだったり。でも自分でも止められなくて! で…っ、」
顔を覆う髪をかき上げると、ビクン、と全身を震わせた。一甲は熱い頬を両手で挟むと上向かせ視線を合わせる。
「………一甲」
黙ったままの一甲に鷹介は不安を覚え瞳を揺らしたが、操られている気配は感じない。
居心地の悪さにもぞ、と身体を捩ると一甲はようやく安堵したように溜め息をついた。
「…お前が無事でよかった…」
頬を包んでいた掌は髪の間を滑り背中に回される。そして鷹介の存在を確かめるようにきつく抱き締められた。痛いほどの抱擁だが暖かな気持ちで全身が満ちる。
自然と肩口に埋められていた鷹介の顔が上がり、そっと目を伏せた。一甲と向き合った唇は何かを待つように薄く開かれる。
いつもなら柔らかく降ってくる口付け。
しかし、今日はいつまでたっても何も起こらず。
「…いっこぉ?」
無意識に甘くねだる声が漏れる。
その途端、ガバッと引き剥がされる身体に鷹介は目を丸くし、すぐに傷ついた色を落とした。
己を見る一甲の瞳に迷いが見えたから。
「やっぱ…、………ごめんっ、出てって! 一人にしてくれっ!」
一甲を突き飛ばし、頭から布団を被る。
(やっぱりイヤだったんだ。自分からあんなコトする淫乱なやつって軽蔑されちゃったのかも…)
「よう、すけ…」
恐る恐る布団の上に手を置くが、丸まった身体はさらに縮こまってしまって。息を詰めて一甲の気配を探っているのはわかるのだが、拒否の気配も同時に発せられている。今は何を言ってもダメかも知れぬ、と暗澹たる思いで一甲は静かに部屋を出た。


トントントン、とリズムよく包丁を操る音に惹かれるようにフラフラと台所へ足を向ける。
「一甲? もうすぐできるから持ってってくれる?」
振り向くことなくそう告げる吼太は手際よく溶いた卵を粥へ流しいれていた。
返事もせず、入り口から入ろうともせず立ち尽くす一甲をようやく振り返り、吼太は卵をかき混ぜ火を止めて歩み寄る。
何か思いつめて、無意識に距離を置こうとする一甲のクセ。
屋内に限ってのことだが、ドアから先に入ろうとしないのだ。たとえそのドアが開いていたとしても、透明な何かに遮られているようにそこから先に来ない。
このクセは鷹介が気づいたもので、ちょっと困った顔して教えてくれた。
「あいつ、結構弱いトコあるって知ってた?弱いっていうか気ぃ遣いかな? 一人で勝手に一歩引いちまうんだ。だからそういう時はオレが手ぇ引っ張ってやるんだぜ」
今更気ぃ使うなって思うよなぁ、と言いながらも知らなかった一面を覗けた喜びに頬が緩んでいたのを覚えている。
今、その状態なのだろうか。俺でも大丈夫だろうか。そう思いながら吼太は一甲の背中を押してキッチンの椅子に座らせた。
「…お茶でいいか?」
「……」
コトン、と目の前に置かれた湯飲みをじっと見つめる一甲はまだ眉間に皺を深く刻んでいる。
「鷹介、相変わらず無茶するよな」
「…今回は俺の所為だ」
「一人で抱え込むなよ。とりあえず目覚ましたんだからさ。で、どうだった?まだ操られてるのか?」
いや、と首を振るがますます刻まれた皺が深くなった。
「どんなふうに操られてたのか、聞いてもいいか?」
先ほどと同じ問いかけ。一甲は触れて欲しくない話題かもしれないが、聞かなければ埒が明かないと判断した吼太は吐かせる覚悟を決めた。



「…結局術が解けてるのかがわからず疑ってしまったんだが……吼太?」
吐かせる気マンマンだった吼太は途中から脱力して椅子からずり落ち、床の上でさめざめと泣いている。聞かなきゃよかった、と小さく呟いた声は幸い一甲には届かなかった。
「なぁ、お前たち…まだ…だったのか?」
とっくの昔にソウイウ関係になってるとばかり思ってたのだが、意外にも2人はまだ清い関係でいたようだ。お子ちゃまな鷹介はわかる気がするが、一甲は…失礼とは思うが手は早い。(告白後すぐキスした話を七海から聞いた) で、今度は反対に鷹介が積極的になり、一甲が尻込みしている。そういうことらしい。
「…まぁ、その…だな…」
(いっちょまえに恥らうなーっ!)
胸の中で精一杯のツッコミを入れる。
「…なんでためらってるわけ」
聞きたくない、聞きたくない、と思いながらもこれも鷹介のため。鷹介の様子がおかしかったのは気づいていたし、元気な振りしてふとした顔が思いつめていて吼太だって心配だったのだ。彼の顔にあの太陽のような笑顔が戻るのなら多少の犠牲は…、と思っているのだがいかんせん未知の世界。人の恋愛ごとは苦手で…。
「あいつはまだ何も知らない。同性と身体を重ねることがどういうことか。好奇心が勝ってるだけのあいつを己の勝手で抱くわけにはいかないだろう」
口調はいたって冷静で思慮深いカブトライジャー然としているのだが、視線はソワソワ、指はモジモジと落ち着かない。ここにいるのは吼太以上に恋愛に奥手なただの男。
(…お願いだから、そんな姿一鍬には見せるなよ。絶対あいつ泣く…)
実はもう兄の情けない姿をイヤというほど見せ付けられて、その兄で遊ぶほどの耐性はできているのだが。
言っちゃ悪いがそんなことで悩んでるのか、このバカは。
なぜ勝手に相手の気持ちを決め付けるのか。2人がちゃんと向き合って話し合えば済むことなのに。
漏れそうになる溜め息を必死に堪えて吼太は一甲と向き合う。
「とりあえずサタラクラの術がどういった状況でどんな効力を発揮するかわからないのが不安なんだよな。悔しいけど向こうの出方待ちか…。でもフォローはちゃんとするから次の襲撃、二人だけで出るなよ?」
強く、しかし笑みを絶やさず話しかける吼太の持つ雰囲気は、鷹介の強烈な光とは別の暖かな陽だまりを思わせる。一甲は吼太にぎこちないながらも笑みを漏らし頷いた。
「で、一甲はもう一度鷹介と話し合えよ。一甲の勝手な思い込みじゃなくて、鷹介の本当の姿と想いをちゃんと汲んでやってくれ。微妙に逃げてんだよ、お前らさ」
あ、お粥冷めちゃったな。と席を立って再びコンロに火をつける吼太の背中が大きく見えた。
「…すまないな、吼太」
「どういたしまして。コレ、鷹介の部屋に運んでくれるか?」
「わかった」

再びサタラクラが街に現れるのは翌日のことだった。










続く





…すっかりご無沙汰してました、カウントダウンシリーズ。もう忘れ去られてる気が…。
えと、えと…。濡れ場は最終回に(笑)
ようやく吼太と一甲中心で書けましたが、いまいち吼太の喋り方のクセが掴めてなくて難産でした。あと2回くらいで終わる予定…です。


2004.06.10  朝比奈朋絵 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送