疲れの理由


「ただいまー…」
誰もいない空間に響くその言葉は思った以上に虚しく疲れた身体はさらに重さを増した。
鷹介は靴とバッグを玄関に放り投げ、ボフンとベッドへと身体を投げ出した。そして睡魔に誘われるまま眠りの世界へと落ちていく。



――――カチッ、ガチャッ。……カチ。―キィ……。

開きっ放しの鍵。脱ぎ捨てられた靴。投げ出されたままのバッグ。ベッドに突っ伏した格好で眠る彼の姿に「鷹介に甘すぎる」と言われている一甲もさすがに眉を顰める。
靴を揃えバッグを部屋の隅へ片付け、静かにベッドへと歩み寄り肩を揺すった。
「……ん……」
コロンと寝返りをうつ姿も可愛い、と思ってる時点で相当腐っているが、幸か不幸かそれを指摘してくれる人間はここにはいない。
しばし幸せそうな寝顔に見入ってしまったが、再び鷹介を起こしにかかる。
「鷹介、風邪をひくぞ」
「んー…? いっ…こ…?」
ぼんやりと目を開けるが意識はまだ覚醒しきっていないようだ。一甲の姿をおぼろげに認識し、ほんわり微笑んだかと思うと再び夢の中へと落ちていきそうになる。
「鷹介、起きろ。鷹介」
揺さぶる力を少し強め、もう一度呼びかけるがやはり半覚醒のまま。
小さく息をつき、一甲はおもむろに耳元へ顔を寄せた。
「…鷹介。起きないと食べるぞ」
囁くと同時に耳朶を食む。柔らかく歯をたてて息を吹き込むと鷹介が身動いだ。
しかしまだお姫様は夢の中。
となるとやはりお目覚めの定番は…

「ん?? んぅ〜〜〜っ!!!」

起き抜けにはいささか濃厚なキス。
さすがの鷹介もこの非常事態に気づいたようだ。目を見開き、必死に抵抗を試みる。
しかし暴れる鷹介をいとも簡単に押さえ込み執拗なキスは続いた。
睡眠の淵から引きずり起こされたと思ったら今度は酸欠で意識が遠のき始める。陥落寸前の鷹介の様子を察知し、最後に下唇を軽く噛み解放した。
「っ…けほっ、ごほっごほっ… な、何すんだよっ!」
急に空気を吸い込んだために咽てしまう。顔は真っ赤、涙目で睨んでも威力はないだろう。
案の定一甲は悪びれた様子もなく、濡れた唇を親指で拭っている。その仕草に、濡れている理由にまた顔を赤らめてしまっても致し方ない。
「眠り姫にはキス、と決まっているのだろう?」
ニヤニヤ笑いながら言ったセリフの意味が理解できず一瞬キョトンとしてしまう。
そして…
「〜〜〜〜俺はお姫様じゃねぇ〜〜〜っ!!」
恥ずかしさから思わず叫ぶ彼を頭を撫でて宥めようとするが子ども扱いされた、とますますむくれてしまった。
…これは本格的に拗ねてしまったか…
ようやく少し反省したようだ。
「すまん」
背を向けて怒っている鷹介を背中からそっと抱き締め、素直に謝罪の言葉を唇に載せる。
人に謝ることをあまりしない一甲だから、こうやって謝られてしまうと強く出れないと鷹介は自覚している。もしかしたら一甲はそんな鷹介の心情を知っているのかもしれないが。
「……なんであんなことしたんだよ」
少し唇を尖らせて理由を聞く。手を払いのけられないことで、鷹介の怒りが収まっているのを感じたらしい。鷹介の肩に顎を乗せて拘束する力をほんの少し強めた。
「…疲れてるのはわかるが、鍵くらいちゃんと閉めろ」
一甲の仕草がなんか子どもみたいだ、と鷹介は思いながら「理由になってねぇよ」と苦笑する。
「てか、ドア開いてた?」
「あぁ。靴は脱ぎっぱなし、鞄は玄関に転がったまま。お前は布団も被らずに寝てるし。忍び云々の前にお前はだらしなさ過ぎる」
「うぅ…。だってすっげぇ疲れてたんだもん」
「そんなに今の仕事はツライのか?」
体力には自信のある鷹介が音を上げる仕事内容とはどんなものなのか。少々興味がわいた一甲が労わるような声音で問いかける。
「だってず〜〜〜っと座ったまんまで数字ばっか見てんだぜ? 頭どうにかなっちゃうって」
どうやら今鷹介の請け負ってる仕事というのは伝票書きらしい。この地域にある某大手自動車メーカーの関連企業に勤めている人間全員分のデータを書き写すのだから、膨大な量になる。ただし書き写すのは数字3ケタだけで簡単なのだが。
身体を動かすのが好きな鷹介にとってはまさに地獄のような作業。唯一席を立てるのはトイレと昼食とおやつの時だけである。
「もう肩こるし、鉛筆握りっぱなしで手ぇ痛いし。あと1週間もこんな仕事かよぉ」
…たしかに鷹介にとっては拷問にも近いだろう。 いつも前向きでどんなことも楽しそうにこなす鷹介が泣き言をいうこと自体珍しいので、一甲としてもいつにも増して甘やかしたくなるようで。
「鷹介、とりあえず風呂に入って筋肉をほぐしてこい。後でマッサージしてやるから」
「迅雷流指圧マッサージ?」
「あぁ。スペシャルコースでな」
「ヘンなことすんなよ」
「お望みとあらば」
スッと立ち上がり、鷹介へと手を差し伸べる。
「……バーカ」
呆れたように呟きながらも、一甲の手をとり立たせてもらい風呂の準備に取り掛かった。



その日から1週間、毎日一甲のマッサージ(時々イタズラつき)をしてもらい、たまにはこんな仕事もいいかもと思う鷹介だった。



 終 





意味なしSS第2弾。最近肩こりがひどくて思いついたSS。誰かマッサージしてください(切実)
鷹介の仕事内容は以前私がしていたバイトです。1ヵ月半ずっと伝票とにらめっこでした。おやつの時間も本当です(笑) 


2003.11.22  朝比奈朋絵 
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